オレは格闘技をやる事が唯一の趣味だ。 
10歳から空手を始め、27歳で総合に転向した。 

だが、空手をやっていても、小、中学校の時はは酷いいじめられっ子だった。 
ヘタレだったため、喧嘩が怖くて出来なかった。 
そのため、理由もなく数十人に囲まれ、リンチされたり、突然階段から蹴り落とされる 
などといった虐めを毎日のようにされていた。 
当然、パシらされるなんていうのは当たり前だった。 


その内の一人に、T坂というヤツがいた。 
皆を扇動して、率先してオレを虐めていた、リーダー格のヤツだ。 
オレが最も恨み、憎しみを持っていた人間だった。 
中学を卒業してからは、全く接点などなかったが、 
間もなく33歳になろうとしていたつい先日、思いもしない場所で再会する事となった。 

オレは総合に転向してからも、子供の頃からオレを可愛がってくれていた先輩が指導している道場に、 
偶に顔を出し、稽古に参加させてもらっていた。 
しかし、仕事が忙しくなり、総合の練習もままならなくなったため、先輩の道場へも足が遠のいていた。 
そんな時、カミさんが出産し、先輩にも生まれた報告と子供のお披露目をしようと思い、 
暫くご無沙汰だった道場へ顔を出し、挨拶がてら近況の報告をしにいった。 

先輩は我が事のように喜んでくれ、子供を抱っこしてくれた。 
更に、暫く顔を出していなかったオレに、 
「仕事が落ち着いているなら、毎週火曜日の20時から1時間半、稽古に来ないか?」と誘ってくれた。 
曰く、火曜日は練習生の数が多い割に、指導員が自分しかおらず、 
また、スパーリング中心の練習のため、練習生のスパーリングの相手をして貰いたいとの事だった。 
オレとしては、断る理由もなく、毎週火曜日にお邪魔させてもらう事にした。 

そして最初の練習日、道場に入ったオレは自分の目を疑った。 

そこには十数人の練習生と共に、あの憎きT坂がアップをしていたのだった。 
気付かれないようにそっと着替えようと思ったが、俺を見つけた先輩が、 
声を掛けて来た為、T坂に気付かれてしまった。 
オレに気付いたT坂は、ニヤつきながらオレに話しかけようとしてきたが、 
先輩と稽古の進行についての話を始めたため、とりあえず一旦は引き下がった。


オレも先輩も20年以上付き合いがあるから、当然他の練習生とは打ち解けかたが違う。 
先輩後輩の縦関係にうるさい道場内で、オレと先輩の会話はかなり目立っていたため、 
T坂にかなり注目されていた。但し、あくまでもT坂だけ。何故なら他の練習生は、 
オレの存在を前々から知っており、稽古前はオレが先輩と色々と話し込む事を知っていたのだ。 

一通り稽古の段取りと雑談を終えたオレは、着替えるため更衣室へ。 
薄いパーテーションで仕切られた壁の向こうから、T坂が先輩に話しかける声が聞こえる。 

「先生、アイツと知り合いなんスか?なんか随分先生にナメた口きいてたみたいッスけど」 
先輩は、オレと先輩が長い付き合いである事を掻い摘んで説明し、 
今日から毎週指導に来る事を伝えていた。 

着替え終わって、柔軟とアップに入ると、案の定T坂が絡んできた。 
コイツの頭の中は未だに中学生のままで、なんの成長も感じられない。 

「おい、お前、先生と付き合いが長いかなんかしらねーけど、あんまここでチョーシのんなよ? 
また中学の時みてぇに、パシリに使ってやるからよ!」 
と、アフォみたいな事を言っている。 
オレは面倒くさいので、「押忍、今日からご一緒させて頂きます。自分に稽古付けて下さい。」と、 
あくまでも下手に出ておいた。 
他の練習生は、そんな痛いT坂の声に、苦笑いをしていた。

暫くして練習生全員を前にして、先輩が今回からオレが練習に参加する事を伝え、 
練習が始まる。体を温め、いよいよスパーリングが開始された。 

予想通り、T坂はオレに対して、練習のスパーリングとは言えない攻撃を仕掛けてきた。 
金的は狙う、髪を掴んで顔面へ膝蹴り、喉への手刀、顔面への肘打など、まぁエゲつない事この上ない。 
オレはそれでもじっと耐え、捌き、あくまでも「練習のスパーリング」を貫き、先輩に迷惑を掛けないようにした。 

あっという間に1時間半の稽古は終わり、後は自由練習となり、練習生は思い思いに自分達の練習を始めた。 
オレは先輩に呼ばれ、その日の稽古の総括などを行なう事となった。 

先輩はオレに、「○○、お前T坂知っているのか?アイツ、スパーの時、メチャクチャやって来ていただろ?」 
と聞かれ、過去にあった事を全て話した上で、今日T坂と会った事で、T坂が再び中学時代の時のように、 
オレをパシリにし、自分のストレス発散の道具にしようとしている事を話した。 
先輩は一言、「わかった」とだけ言い、自主練習をしている練習生達にこう言った。 

「○○は手伝いに来てくれているため、自分の練習が出来ていない。誰か○○の相手をしてやってくれるか?」と。 
すると案の定、T坂が挙手。先輩はコレを見越して声を掛けていたんだろう。

そこで先輩は、「○○は今、総合の世界にいる。T坂、いい機会だから、総合ルールでスパーしてみろ。 
勉強になるから。4点ポジションの膝はナシで、あとはPRIDEルールでやってみな。」と、ケンカに近いルールを 
提示した。 
T坂は「先生、そんなの余裕ッスよ!!オレ、ケンカ負けた事ないスから。さっきのスパーでも、コイツの事、 
ボッコボコにしてやったんスよ?コイツ、オレとそのルールでやったら死んじゃいますよ?」と、 
間違いなくオレを、昔虐めていた時と同等に捉え、ニヤついていた。 

先輩は、「そうか。まあ、総合に限らず、空手でもスパーやってりゃケガは付き物だしな。○○、別にいいよな?」 
とオレに同意を求めてくる。 
オレは「問題ないスよ。」とだけ答え、マウスピースとオープンフィンガーグローブを装着。 
完全に戦闘モードに突入。先程の傍若無人なスパーや、未だに昔のままの力関係を持ち込み、 
およそ武道家らしさの欠片もないT坂に対し、我慢の限界に達していた。 

先輩はそんなオレの事を気にしてくれて、あくまでも道場の「練習」で、オレにT坂を倒す機会を与えてくれた。 
勿論、先輩はオレとT坂の実力差も十分承知している。たかだか空手歴1年程度のT坂、方や20年以上格闘技の道を歩み、 
総合に移ってからも定期的に試合に出場し、勝率も比較的高いオレ。 
コレはあくまでも、オレを過去の呪縛から解き放とうとしてくれている、先輩の気持ちだ。 

「時間は3分、1Rのみ。タップアウト、TKO、若しくはオレが止めた時点で勝負アリ!!いいな?」と先輩の声が掛かる。 

オレは中央でT坂と向き合い、冷静に相手を見る。 
T坂は完全にオレを舐めている。さっきのスパーがオレの全てだと思っているのだろう。 
周りの練習生に、「1分で殺しちゃいますよ~」と宣言している。 
他の練習生は、相も変わらずイタい発言をしているT坂に対して、嘲笑と憐憫の眼差しを送っている。 
周りの空気が少しずつおかしくなっている事を、T坂は感じられずにいた。 

そして先輩の、「始め!!」の声が掛かった。

オレはアップライトに構え、T坂を睨む。 
T坂はそんなオレに、「んだぁ、その目は、アァ?ムカつくんだよ」と言いながら、ローを放ってきた。 
そのローを脛で受け、引き足と同時に片足タックル。T坂はいとも簡単にグラウンドへ。 
オレはそのままパスし、横四方固めへ移行。そしてガッチリ押さえ込んだ上で、パウンド。 
パウンドを嫌がり、必死にもがくT坂だが、オレの横四方はオレよりもデカく、力のある先輩でも逃げられない。 
T坂が逃げられるはずもなく、オレは思う存分にパウンドする。 

そしてそのまま袈裟固めへ体勢を変更し、横三角締めを極めに入る。そのまま前転し、通常の下からの三角締めの体勢へ。 
完全に三角を極めず、若干のゆとりを残した上で、下から容赦なくT坂の顔面を殴る、殴る。 
顔面が血まみれになり、呼吸も荒いT坂を、クラッチを極め、締め上げる。締め上げながらも下から殴る。 
無表情にT坂を殴り続け、ついにT坂は殴られる辛さと、締められる苦しみからタップ。 
オレは先輩に過去の呪縛から解き放ってもらった。 

タップ後のT坂は、明らかにオレに対して怯えた目をしていた。 
そんなT坂を見て先輩は、「T坂、お前が今日の練習中に、○○に対してやっていた事をオレは見ていた。 
お前が過去、○○に何をやってきたかも聞いている。当時○○が手を出さなかったから、コイツをいいカモとして 
見ていたんだろうが、今になればどうしてコイツが黙ってやられっぱなしだったか分かっただろう?強さというのは暴力だけではない。分かったならこの場で一言、‘参りました’と言え。」と、T坂へ最後の締め。 
T坂は消え入りそうな声で、「○○さん、参りました」とだけ言い、 
そのまま着替えて帰ってしまった。 

その後、程なくしてT坂は道場を辞めていった。