遺産相続やっぱすげえ怖ぇ。。。。 
うちはこのあいだ叔父からの遺産相続があった。 

母は田舎(中部地方の県)の小さな雑貨屋を経営してた祖父母の三人兄妹の真ん中(兄妹弟)。 
祖父の死後雑貨屋はその叔父(=兄)が継いだんだけど、彼ものすごく偏屈で肝っ玉が小さく、度の過ぎた偏食だった。 

祖母が病床に就いた時も、彼女の意思に関係なく最低限の世話だけであとは病院任せ。医者からの病状報告のときも聞きたくないとか言ってブッチした。 
あと、平常パンと卵、リンゴくらいしか食べない。(あと、たまーに肉?) 

そして祖父母の死後、叔父が「雑貨屋は俺が継ぐから遺産は全部俺の物」と主張し、母や叔父(弟)は一銭ももらわなかった。 

それからことあるごとに母を呼び出したり(こっちは東京w)、逆にこっちに来て世話をさせては礼の一つも言わない叔父に母も散々文句を言ってた。 
ついでにこのころ、そんな叔父を良しとしない亭主関白な父が、なんだかんだで世話を焼いてしまう母にことあるごとに上から目線で怒りをぶつけ(でも自分は表だって叔父に何も言わない)、家の中がすーごい険悪になってちょっと修羅場ってた。


そんな叔父は最終的に、現代の(重い病気も持ってない)中流家庭人としては非っ常に稀な栄養失調で亡くなったわけで(苦笑)。 

母も叔父(弟)も、いまさら田舎の雑貨屋を継ぐ気は無かったため、家を壊し残った品物を叩き売り、遺産を分け合うことになった。 

祖父母の家は私も何度か行ったことあるけど、自宅は広いけど古くて庭は草ボーボー。店に至っては二階が傾いているというボロボロっぷりだったので、お金なんてなかろーにと思ってた。 

でも周りの人の予想とは裏腹に。 
出るわ出るわ、タンスから物置から様々な財布。その中にお金。 
お金入れておいたカンの箱?を空けたら大量の通帳とお札。(新渡戸稲造とか久しぶりに見た。。。) 
そしてまさかの、胸に抱えられるくらいの小さめのツボの中にみちっとつまった百万円の札束www 

あと、祖父母の代からほったらかしになっていた株。叔父の代になって買った株。 
ついでに、地元の組合関連?で入っていたらしい大量の保険。 
叔父(弟)夫妻とウチの家族(母と父と娘(=私))総出で数えて整理して手続きしてに奔走した。 
たぶん、娯楽なんてほとんど興味なかったから、お金は貯まるだけだったんだね。。。とみんなで嘆息した。 
母はこのとき、「お金が数えても数えても終わらない・・・お金に埋もれる夢を見る。。。。もういらない。。。」って泣きそうになってた。死んでからもありがた迷惑な叔父だ。 

当然、相続の際の控除額(っていえばいいのかな?無知スマソ)をはるかに超えてて、相続税がばちょと取られたけど、それでも一応それなりにまとまった財産を手にした。 

その後、旅行好きな父が「お母さんが大金持ちになったんだから旅行行こう!」とことあるごとに言ってるのはすごく辟易したけど、まあ身を持ち崩したり盗んだり暴力に訴えたりってほどのワルさはなく、今は平和に暮らしてる。 
将来、母の遺産を相続した時にはヘタなことに使わないように身を引き締めて行こうと思った。あと、妙な男性に捕まってお金使い込まれたらどうしようオロオロと今からプチ動揺。。。

私は母が40歳の時の子供で、父は私が中学の時に退職。 
以来、裕福と言えないながらも貯金から私立女子高の学費を捻出し、塾の費用はフルタイムのバイトで母が出してた。 
まあ、そんな事情は当時よく考えず、中高で私は女子校のお嬢さん(w)なりに激しく反抗期してて、ぎゃんぎゃん喧嘩したし不真面目だったし、足りなくなったらお金を両親の財布からちょろまかしたりしてた。 
(腐女子全盛期だったんで、費用は飲食代かマンガかゲームか同人に消えていた。) 
大学は反抗期はなくなったけど、給料日前のお金前借りはよくしてた。 

そして、遺産の件があったのは社会人になってからのこと。 
中高の時に起きていれば、学費や塾代に苦労することがなかったと思う反面、当時の私がどんな対応をしたかと考えると、社会に出てからでよかったのかも、と思う。。。。