祖父の葬式のときに起きた一連の修羅場。
祖父祖母が父方、母方と出てくるけど、特に注釈ない場合は母方と思ってほしい。
一応登場人物としては
俺(当時中学生)
兄(当時中学生)
父
母(長女)
父方の祖父母
母方の祖父母
叔母(次女)
俺が中学生のときに母方の祖父がなくなった。
ある休日の朝、俺が家で兄とテレビを見てると母方の祖母から電話があって、母がそれに出た。
どうも祖父が倒れたとのことで、母は祖母に
「救急車呼んだ?」
「お隣の○○さんにも連絡して」
「すぐ行くから」
といったことを話して、俺に
「ちょっとおじいちゃんの家にいってくる」
といって出かけていった。
ただ、このときは俺も母も兄も祖父が死ぬなんて考えてなかった。
数年前にも似たようなことがあって、そのときは大事じゃなかったので、今回も同じように考えていたんだと思う。
で、母が出てから1時間ほどしたら母から電話が来る。
兄が出たら
「祖父ちゃんあんまりよくないから病院に来て」
「○○の祖父ちゃん(父方の祖父)が家に行くから、一緒に病院まで来て」
という内容を話して、父方の祖父と病院へ。
で、病院に着いたとき、もう母方の祖父は亡くなってた。
人の死に遭遇するなんて初めてのことだし、数週間前に会ってた人物が死ぬなんて思ってもなくて訳がわからないけどとにかく泣くだけだった。
泣き虫だった従弟(当時幼稚園だった)が慰めてくれて、それでさらに涙が出た。
これだけでも相当修羅場だったんだけど、こっから先も修羅場だった。
母方の親戚連中、過去10年ほど人が死んでなくて葬式もしてなかったので大混乱、さらに葬式もすんでないのに遺産をどうしようかという話しも出てきて母方の祖母は寝込んでしまい、長女だった母も半分パニック状態、父が
「お義母さんに心配をかけないためにも遺産の話はしばらく禁止、今はお義父さんの葬式をちゃんとやることだけを考えよう」
と言って何とかまとめた。
何とか祖父の葬式を終えた後も俺にとっては修羅場だった。
葬式が終わったといってもまだいろいろ手続きとかがあるのか大人連中はその話し合いをしているし、俺と兄が子供連中の中で一番年上だったので祖父の家に集まった子供連中の世話をしながらいろいろ手伝いをすることになり、また遺言状の類がないかと祖父の部屋を荒らすような真似もした。
で、一番の修羅場が49日が過ぎた頃。
それまで財産の話はあまりしないように進んでたんだけど、突然祖母が
「○○(母)には遺産は一切渡さない、全部○○(叔母)に渡す」
と宣言。
一体なぜかと話を聞くと今まで誰も知らなかったけど母と祖母、血が繋がってなかったらしい。
祖父が若い頃に結婚してその女性は母を産んだ直後に死亡、祖父はその直後に祖母と結婚して、その後生まれたのは叔母だったのだと。
祖父の方針でそのことは母にも叔母にも伝えないということにしていて、祖母も区別なく育ててくれたんだけど、一度離婚しかかったときに祖母
「もしお父さんと別れるとなったらお母さんとお父さんどっちに付いて行きたい?」
叔母「お母さんのほうが好きだからお母さんと一緒がいい」
母「(母さんの方が好きだけど、子供がみんな居なくなったらお父さんが可哀想だから)お父さんと一緒に行く」
という話があって、祖母はこのときからずっと(30年ぐらい)
「この女はやっぱり自分の子供じゃないんだ」
と悩んでいたらしい。
で、祖父も亡くなって義理立てする必要もなくなったから母は娘じゃないし、俺や兄ももう孫じゃないんだと、
「ばあちゃん」
と呼ぶことすら許してくれなくなった。
祖母と血が繋がってないと知ってから疑問に思うようになったんだけど、確かに不思議なところがあって父方の祖父母は母のことを「○○ちゃん」と名前で呼ぶ。
母方の祖父は父を「○○君」と名前で呼んでいたのに対して母方の祖母は父を「○○さん」と苗字で呼んでいた。
で、母の方も思うところがあったのか「なら遺産はいらない」とその場でほとんど絶縁。
それ以来祖母とは会わなくなったし、母方の親戚とも殆んど会う機会がなくなった。
数年前、大学を卒業したときに駅前で待ち合わせして数年ぶりに祖母とあったときは祖母は少しのお金を俺に渡して
「○○君(祖父が死ぬ前は呼び捨てだった)、これから生きてくの大変かもしれないけどがんばんなさいよ」
と言われて3分で別れた。
正直、今現在元気なのかどうかもわからない。
祖父が亡くなる~祖母との絶縁まで、修羅場が連続して続いたのがたぶん人生最大の修羅場。
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