アレルギーに関して無知な人が誰もいなかったのに、俺のアレルギーのせいで両親と母方の祖父母との仲が最悪になったのが修羅場。
(俺)や(母)と書いたらそこには人の名前が入ると思ってほしい
俺、2歳ぐらいのときに犬・猫のアレルギーがあることが発覚。
近くにいたり触ったりすると目が赤くなって涙が止まらなくなってしまう。
俺は月に一度ほど母方の祖父母に預けられることがあったのと、その祖父母の家の隣家が犬を飼っていたため、母が祖父母に説明。
祖父母も隣家に説明したみたいで、小さい俺が犬に近づき過ぎないようにいろいろ注意してくれた。
で、俺が中学に入ったとき、軽度の果物アレルギーであることが発覚。
りんごとかを食べると口の中が腫れたり、口の奥の喉に近い部分が腫れたりしてほんの少し、息苦しくなるという程度。
りんごはあまり好きじゃないからショックは受けなかったし、命にかかわるって訳でもないから、両親もへーそうか程度の反応だった。
で、俺が果物アレルギーになってから初めて母の実家に行ったとき、祖母がおやつ替わりに出してくれたのがウサギさん型に切ったりんご。
このとき母が祖母に
「(俺)は果物アレルギーで食べられないからごめんなさい」
見たいな事を言ったら祖母が怒った。
「果物アレルギーなんて聞いた事ないし、昔はりんごちゃんと食べてたでしょ、嘘を言うな」と。
祖父も祖母を援護して
「お前、(俺)が最近反抗期に入って悩んでたけど、そうやって子供の嘘を真に受けるから反抗期になるんだ」
と母を責める責める。
不幸だったのは、俺が犬猫アレルギーだとわかった時は2歳で手がかかる年齢だったから、母も父も急いで祖父母や付き合いの多い親戚関係・ご近所さんには周知してた。
だけど果物アレルギーは中学生になってからでへーそうかで済ませていて祖父母に連絡していなかった。
さらに祖父母も祖父母で、俺がアレルギーになったことを知ったときにアレルギーについて勉強したらしい。
でも当時は果物アレルギーはあまり一般的ではなかったし(今でも一般的じゃないか?)後天性アレルギーがあるということまで調べていなかったので
「俺がりんご嫌いになったのをアレルギーだと嘘をついて、母がまんまとその嘘にだまされた」
と判断。
「俺が嘘をついている」→「俺に嘘をつかせる様な教育をして!」
という流れで祖父母は母を責め始める。
俺は最初祖父母が急に豹変したことで怖気づいて口を動かせなかったけど、大好きな祖父母と大好きな母が仲が悪くなるのは見たくなかったので
「大丈夫、俺大丈夫だから!」
とか叫んでりんごをものすごい勢いで全部喰った。
で、ここでさらに不幸だったのは、俺のアレルギーは軽度、そして犬猫と違って口の中だから外からじゃ異常なんてわからない。
「ほらなんともないじゃないか、だから(母)は~」
と母への攻撃が始まりそうだったから俺、しゃべると口の中痛かったけど
「母さん、そろそろ帰らないと○○(俺の好きなテレビ番組)間に合わないから帰ろう。じいちゃんばあちゃんりんごおいしかったよ」
と言って母さんを引っ張って車に乗せた。
帰るときに祖父母の
「好き嫌いは誰にもあるけど、だからと言って嘘ついちゃだめだよ」
という言葉が妙に痛かった。
これが俺にとって修羅場。
その半月後、祖父が死去。
病気があったわけでもなく、いたって元気だったのが脳梗塞で前触れなく逝ってしまったのがショックで、最初涙すら出なくて呆然としてると号泣している兄に
「お前平気なのかそれでも人か」
みたいな事いわれて殴られたり、その翌日やっと涙が出始めたときに当時5歳のいとこ(父の弟の息子でなくなった祖父とは無関係)に慰められたりしたのが2つ目の修羅場。
病気はなかったけど高齢だったから遺言書の類はないかと祖父の部屋荒らしをさせられたとき、祖父の日記に
「あのあと調べたら全面的に(母)が正しかった、(母)と(俺)にはひどいことをしてしまった。なんとしても謝りたいが、許してくれるだろうか」
といった文章があって涙が止まらなかったのが3つ目の修羅場。
その後別件で祖母とはほぼ絶縁状態になってしまい、10年以上会っていない事に。
これを書いている今気づいたのが4つ目の小規模な修羅場かもしれない。
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