うちの母の修羅場
ちょっと複雑ですが

祖母(母の実母)は母3歳の頃、母の妹を産んですぐに病没。
「お願いだから子供達を手放さず(養子に出さず)に育ててほしい」と祖父(母の父)に言いながら死んでいったらしい。


実母死去から約1年、祖父は後妻と再婚。
が、この後妻、母姉妹を養子に出すと言い出した。

理由は「祖父が死んでもし遺産相続になった時に、(自分で産むであろう)自分の子供よりも先に先妻の子供にも遺産分配されるのが絶対に嫌。ていうかあいつら私の子供じゃないし」といういかにもな理由。
子供が何人いても遺産の分配には順番なんて無いですよね……?

結局、祖父は後妻に押し切られる形で母の妹を養子に出しました。
母に関してはもう物心がついているし養子に出すのはちょっと…という話になりましたが、後妻は自分の子供じゃないし!とゴネるにゴネて、結局母は祖母(祖父の母、母から見ると父方の祖母、私から見ると曾祖母)の養女になりました。

母に対して食事などの本当に最低限のことしか世話をしなかった(それも渋々)らしい後妻に対し、曾祖母は本当にいい人で母を大事に育ててくれました。

母が父と結婚した時も「娘と結婚してくれてありがとう。大事にしてあげて」と、私が生まれた時も「孫ができた!孫!かわいい!孫!」と自分の事のように喜んでくれました。
たまにしか会うことはありませんでしたが、私も優しい曾祖母が大好きでした。
こんな生い立ちなのに母がDQNにならなかったのは間違いなく曾祖母のお陰だと思います。

そんな曾祖母も私が小学生の時に亡くなりました。
丁度、私の12歳の誕生日でした。

葬式の際、後妻は
「あいつ(母)は曾祖母が入退院を繰り返していても全く手伝いに来なかった。恩を仇で返している」というような事を弔問客に話していたと言います
「後妻さえいなければ、私は何度でも曾祖母に会いに行ったのに…あいつさえいなければ…」
母は葬式後に泣いていました。

なにせ後妻は、母が用があって家に電話をした際「もしもし、○○(母の名前)だけど」と喋っただけですぐさま電話をガチャ切りするような女です(母がガチャ切りされた場面を見ました)。顔を合わせたら何を言われるか何をされるかわかったもんじゃなかったんでしょうね。

曾祖母が死んでから、母は二度と生家に行かなくなりました。

曾祖母が亡くなってから約10年後、今から数年前ですが我が家に男性(弁護士だったか不動産屋だったか忘れてしまいました)が訪ねてきました。

曾祖母の配偶者…曾祖父(いつ頃亡くなったかは知りません。私が産まれた時には既に故人)が土地を持っていた事がわかったのです。
結構大きい土地でしたが、お金に換算してもそんなに高額な土地ではありませんでした。

この土地の相続人は曾祖母の息子である祖父。
そして曾祖母の養女であった母。
曾祖母には祖父しか子供が居ませんでした。

奇しくも、後妻が母姉妹を養子に出せとゴネなければ(母が曾祖母の養女にならずに祖父と親子関係のままであれば)そのまま祖父が相続していたはずの土地(の一部)が母の物になったのです。

男性が来た数日後、今度は祖父が我が家へやって来ました。
「息子(母の義弟)に土地を相続させたいから、申し訳ないが相続放棄してほしい」と。
(後出しですが祖父と後妻の間には2人の子供がいます。母にとっては義弟と義妹ですが、法律だと甥と姪になるのかな?)


そこで母はキレました。
そして大声で泣きました。
それはもう私が今まで20数年生きてきて、こんな母は初めて見たと思うくらいに。

元はと言えばお前達が自分でやったことじゃないか!
自業自得だ!文句があるなら後妻に言えばいいだろう!
お前達が勝手に私を除け者にして!
実母の言い付けを破って私と妹を除け者にして!
そりゃ義弟と義妹は両親に囲まれて幸せだっただろう。だが、私はお前(祖父)や後妻に何一つ親らしいことなどしてもらっていない!
私がどんなに悲しい思いをして辛い思いをして子供時代を過ごしていたかわかるか!私を愛してくれたのは曾祖母だけだ!
私は相続放棄などしない!二度と来るな!!
…と。本当はもっと色々話していたと思いましたが、私が覚えているのはこれぐらいです。

それから数日後、祖父はまた家に来ました。

本当に申し訳なかったと母に泣きながら土下座していました。そして、この土地の相続に関して後妻は一切関係していないという事も説明していました(嘘かもしれませんが言い出したらキリがないので)
そしてもし相続を放棄してもらえるなら、その相続する土地価格の数倍の金額を払う、払わせてくださいと。

結局、母は判を押してお金を貰いました。
土地自体には興味は無く、母にとって間違いなく後妻は糞婆でしたが、祖父と義弟義妹はただの空気だったらしいのでそこまで相続に固執するのも疲れるだけだと。

「私はようやく昔の事をぶちまけることができたけど、結局お金しか行き来しないんだね」
と母が悲しそうな顔をしてたのを覚えていますが、それ以上に
「このお金はきっと曾祖母ちゃんが私にくれたお金だよ!」と言っていた姿が強く印象に残っています。